第 3 章 社宅の新婚さん
4月のはじめ、山崎家の隣の502号室(会社の社宅)に新婚さんが引っ越してきた。
山崎夫妻よりも若い、20歳と23歳のカップルで、丸山さんという人だった。
結婚してすぐのようで、家財道具も比較的少なく、お互いの衣類と個人の持ち物くらいだ。
1時間程度で引越し業者の荷解きも済んだ。引越しの様子と家財道具の少なさを見ると随分
質素な引越しだなと美佳は思った。しかし事実は違っていた。
午後になると家具店と電気店のトラックがほとんど同時に来て次々と502号室に運び込まれた。
それを見ると美佳は半分唖然とした。ダブルベッド、運び込まれる食器棚、食卓、たんす、冷蔵
庫、洗濯機、TV、エアコンetc……大きい家財道具が次々と隣の号室に運ばれている。
私たちと同じ間取りのはずなのに、良くこれだけの家具や電気製品が家に入って窮屈ではない
かと、余計なお世話ながら心配した。
丸山さんの旦那さんに聞くと、全くの新婚なので家財道具も全部新調したとの事。しかも父方の
親戚が名古屋の人で見栄っ張りなのか、進んで丸山夫妻にこれらの家財を買ってあげたとか。
美佳は羨ましいと思った反面、家の事情を知らない「見栄っ張りな」親戚を持つと大変だな、と苦
笑した。夕方になって、丸山夫妻が山崎家に引越しの挨拶にやってきた。
「はじめまして、お隣の502号室に引っ越してきた丸山と申します。新婚なので色々分からない所
があるので、お隣同士これから教えていただけたら幸いです」
美佳は、「確か502号室はどこかの会社の社宅ではないの」と言うと、
「良くご存知で。このマンションから車で10分くらいの所にあるビル管理会社に勤めています。うち
の社員は高齢者が多く、自宅持ちばかりのでここはずっと使われなかったそうです」
旦那さんがこう説明した。マンションの部屋にとっては使われないで風化させるよりも人に使われ
たほ方が持ちが長くなる。しかも防犯上誰か住んでいた方が安心である。
美佳は「こちらこそ宜しく」と挨拶を交わした。
美佳は、「そうね。旦那さんも優しそうだし、奥様もかわいいし。結構いい人が引っ越してきてよか
ったね」と嬉しそうだった。
そのマンションは建物と同じように比較的高齢者が多く住んでいる。その半分以上の住民はこの
マンション落成時と同時に入居したらしい。
時代の変化や家族構成の変化でこのマンションから去った人も多く、4割くらいの部屋が空室に
なっている。
けれど他の団地やマンションと比べて家賃や分譲価格が安いので少しずつ私たちのように新婚さ
んが入居するようになって来た。
少々手狭なのに目をつぶれば十分住める。山崎夫妻もここに住んで2ヶ月以上経つが、快適だ。
翌日。隣の502号室の丸山家の奥さん(名前を彩(あや)という)が昼ごろ私の家に菓子折り持って
「ちょっとこの付近の事を教えて欲しいのですけど……隣のおばさんよりもあなたのほうが親しみや
すかったので……」と尋ねに来た。
私は丁度ご飯食べ終わってTV見ていたので暇といえば暇だった。
部屋に彩さんを入れて二人の出会いから新婚生活について色々聞いてみた。
旦那さんの幸人さんとは3つ年上で2年くらいの交際の後社内結婚したそうだ。
ここのマンションに入ったのは新婚旅行から帰ってすぐだそうで本当に新婚ほやほやである。
二人は隣町の出身で、都内で結婚式を挙げて当日の夜に飛行機でホノルルに行き、ハワイで一
週間過ごしたあと夕方に帰国したそうだ。
帰国日の夜は都内のホテルに泊まり、翌日新宿駅からタクシーでこのマンションに初めて入った
そうだ。彩さんにとっては結婚のことで頭が一杯で、これから住むべき社宅のあるこのマンションの
地理をほとんど知らないで入居したのである。
ちなみに二人の道具は出国前に引越し業者に一週間預かってもらったそうだ。
なのでまともに転入届も免許の書き換えもしてないし、食事も新婚旅行の帰りに駅で買ったカップ
ラーメンとおにぎりしか食べていないそうだ。
美佳は丸山夫妻の結婚後の行動に完全に呆れたが(今の若い人は面倒な手続きや住むべき家の
下見とかは楽しいことの後回しにするのだな)と思った。
まだまだこの町の右も左も分からないと察し、彩さんに市役所の出張所と郵便局とバス停とコンビ
ニとスーパーの位置を教えてあげた。
近くのスーパーまで車で15分のところにあると聞くと彩さんは「旦那と一緒に車で連れてってもら
おう」と話した。
さらに美佳は「旦那が会社に行っている時の買い物はすぐ隣のコンビニか駅まで行かないとだめ
だよ。この辺大きな店がないから」と話した。
そこまで話すと彩さんは幾分驚いたが「住んでいくうちに慣れるよ。路線バスも本数が多いし、こ
の辺の人は親切だし」と励まし、書きのバスの時刻表をあげた。
「私の旦那が会社に行く為に書き留めておいたのよ。小さく折り畳んで財布に入れておけばいいん
じゃない?バスで駅前まで行けば大抵のものは買えるから」とアドバイスしてあげた。
色々話しているうちに夕方になってしまった。彩さんもノート半分位のページに私の言った事をメ
モ書きしている。どうやら私のアドバイスをノートに書いて活用するらしい。マンション暮らしの(一応)
先輩である美佳にとっては嬉しい限りだった。
久しぶりに若い人との会話で楽しく(半分驚いたが)時間が経つのもお互い気がつかなかった。
「そろそろ旦那が帰って来るころだから……また色々教えてね。もしよかったら一緒に買い物でも
行きたいね」と言って部屋を出た。
お隣の新婚の奥さんとも仲良くなったし、美佳にとって春から気分のいいスタートを感じ取った一
日であった。
友之の帰宅後、今日あった事を話し、丸山さんの家からいただいたゼリーを食べながら友之は、
「これからは近所付き合いが大切になるからな。仲良くなることはいいことだ」と言うとすかさず、
「そうね、今のうちに若いエキスをたっぷり吸収しておきましょ!」と美佳はつぶやいた。
間髪いれずに友之は、「気分だけはね」と毒たっぷりに返答した。
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