第11章 山崎家のお正月
 元旦。
 このマンションに引っ越して初めての正月。
 しかし特にこれと言って【新しい年】という雰囲気が感じられない。
 家の中も適当に大掃除を済ませたので綺麗にしていない所もある。さらに新年に際して畳替えはも
ちろんの事、障子もカーテンも壁紙も引っ越してきてからずっと同じである。
 このマンションは自分の所有物でなく借りている、ということもあるが、特別綺麗にしなくても別にどう
でもいいという気持ちであるからだ。
 と言う事で、普段と変わりなく朝がやってきた。
 「おはよう。そして明けましておめでとう」夫婦で新年の挨拶をした。
 正月なので、ちゃんとおせち料理も用意している。年末にスーパーで予約したおせちセットである。
 しかもこのセットは2万円する高級品であり、はじめから重箱に詰めて売っていて、美佳は、冷蔵庫
で解凍したものをそのまま出しただけである。しかしおせちの味は有名料理店が監修したと言うだけ
あって一流である。
 さらに、餅も真空パックの切り餅であるし、雑煮も市販のお吸い物の素で作ったつゆの中に野菜を
後から入れただけのものだ。
 そもそも正月は主婦が家事をしなくて済むように作られたもの。しかし、必ずしも「手抜きをしてい
い」事ではない。
 しかし最近は便利な商品やサービスも出てきたので昔よりは格段に良くなった。裏を返せば、平成
時代ではコンビニもスーパーも正月から開いているのでおせち料理そのものもいらなくなってきてい
るのは事実だ。
 けど日本人は正月になると、すぐ飽きてしまいながらもなぜかおせちは食べたくなるものだから不
思議なものだ。
 来年も再来年も、きっとまた同じような考えでおせちを食べているであろう。
 美佳は奮発して買ったおせちに舌鼓を打っている。
 友之も朝から堂々と酒が飲めるということで上機嫌である。
 インスタントのお吸い物で作った雑煮も思ったほど美味しく、(来年もまたこれで作ろう)と思う美佳
であった。
友之はおせちを食べ終わったら、居間でごろごろと新聞を読んでいる。
 正月の新聞はページ数も多いので読み応えがあると言っている。
 もともと新聞はテレビ欄くらいしか見ない美佳は、新聞よりも折込チラシの方に興味
がある。特に元旦は、これでもか!といい位チラシが山ほど入っているのでチラシ好き
の美佳にとってはうれしい。
 元旦だけあってどの店も【初売】や【福袋】という文字で溢れていて、さすがに新年らしく
華やかである。こういうチラシを見ると、うずうずして今すぐにでも買いに行きたいと思うのが
女性の心情だ。
 多くの店が2日からだが、駅前にあるファッションの店は元旦から初売りと書いてある。
 美佳は目を輝かせながら、
「全てのチラシ見たら駅前の店に買いに行ってくるので、町に出かけるよ」と言った。
「はいはい、行ってらっしゃい」
 友之はすでにほろ酔い気分。彼はもともと出不精なので、
「今日は家でTVの駅伝中継を見たりインターネットをしたりして過ごすから」
と話すと、美佳は
「正月だから今日はゆっくりしていいよ」と答えた。
 正月というだけあって、車はあまり走っていない。もちろんトラックはほとんど通らない。
 美佳は駅に向かうバス停に向かった。
 バスは正月という事で普段の休日より運転本数が少なめだがちゃんと運転している。公共
交通機関だから当たり前といればそれまでだが。
 程なくしてバスが到着した。車内はすいている。
 車窓から見ていると、正月でありながら何となく普段の日と同じような風景である。コンビ
ニも営業しているし町行く人々も普段の格好である。初詣に行くと思われる客も、着物姿の人
は少ない。
 バスは駅に到着した。駅前は普段の休日と変わらなく賑わっている。美佳は今日は本当に
元旦なの?と眼を疑いたくなるようであった。
 元旦だけあってさすがにデパートは閉まっているが一部の店は開いている。
 そういう関係からか純粋に買い物の客は少なく、たいていは電車を使って都内の寺社に初詣
に行く人が多いみたいだ。
 美佳は当初の目的どおりに駅前にあるファッションの店に向かった。商店街を見たらコンビニ
以外で開いているのはこの店くらいであった。
 店側はそれを狙ったのか、この日ばかりは!という勢いで販売をしている。
 お目当ての福袋も思ったほどたくさん用意されていた。美佳はこれはと思ったものを選んだ。
 さすがに福袋を持ったまま初詣は無理だと感じた。というか人ごみの中で参拝を待つのも嫌
だからだ。
 近くにあるコンビニでおにぎりとコーヒーを買い、バス停のベンチで食べた。
 美佳にとっては普段は食べない所で食事をするのも一種の楽しみかと言える。と言うか、若い
子ならともかく、いい年した主婦がバス停のベンチで食事をする事自体ある種の冒険ともいえる。
正月だからこそ時間がゆっくり感じるのかもしれない。
 美佳はバスで家に帰った。早速福袋を開けた。
 ……確かに値段相応なものは入っているが、……派手すぎるものばかりである。果たしてこの店
で買ったのが正解かどうかと思うと疑問に感じてきた。今思うと若者向けの店だったのかもしれない。
(まあ、家で着るにはいいか……)と開き直った。
 友之は相変わらずTVを見ている。
 TVと言っても【お正月】と銘打っていて、着物や羽織袴を着て出演しているだけでいるだけで、顔ぶ
れはいつもと変わらない。
 番組も去年収録したばかりなのに、と思うと美佳はTVにかじりついてまで見ようとはしなかった。
 というか美佳はドラマやニュース以外はTV番組を見ない人であった。どうせ昼間はドラマは放送し
ない、と思うと家にいてもつまらなく感じた。
 どちらかと言うと美佳は活動的な方である。福袋を置いて、初詣に出かけた。
 マンションの裏にある神社。そこそこ大きく境内も広く初詣の客が結構来ていた。
 地元の人が多いのか皆普段着であった。何人かは市内の初詣のはしごをしているのか自転車で
来ている人もいた。いつの時代になっても正月には初詣をするという心は変わらないな、と感じた。
「夕飯もまたおせちにしようか」と言うと友之は、
「夕飯に甘ったるいおせちは食べられない」と答えた。
 美佳も納得し、夕飯はご飯にした。これと言っておかずが無いので、レトルトのカレーにした。まるで
昔流行ったCMの通りである。元旦のカレーと言うのもたまにはいいかもしれない、と思った。
 元旦のTVはほとんどが特別番組で、美佳の見たいような番組が無かったので、夕飯後は風呂に
入り、新聞を見て寝てしまった。
 やはり、元旦とも言えども普通の休日であった。
 小さい頃に経験した【正月が来る喜び】はどこに行ってしまったのだろうか?お年玉がもらえなくなっ
ただけのことだったのだろうか?
 いや、世の中のスピードが速くなり、正月らしさが感じなくなったのかもしれない。
 床に入りながら何となく寂しく感じる美佳であった。
【続く】

※昭和三十年代の正月風景を書いた拙作【年末年始】もあわせてお読みになれば、今と昔の正月の
変化が分かるかと思います。
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