第10章 古いアルバム
(佐東 汐さん主宰 「おかっぱ増えたら嬉しいな同盟」支援作品)
年末が近づき、山崎家も大掃除を始めた。
友之は比較的計画的に物事をこなしていくタイプなのであるが、美佳の場合、毎年最初のうち
は勢い良く始めるのであるが、いつも途中で失速してしまう。
まるで小学生の夏休みの宿題である。
毎年12月に入るとすぐに部屋の片づけを始めるのであるが、その意欲は半日も持たない。
それ以降は緩慢に、というか、突然気が付いたように台所だの風呂場だの目立つところをチョコ
チョコ掃除をする程度である。
そして年末になっても家が綺麗にならないままである。その結果「ま、いいか。」という考えで、
それとなく友之に掃除を頼みこむか、何もしないでずるずると年を越してしまうののが常だ。
その為、部屋の障子も、浴室も、換気扇も汚れ放題である。まあ、団地住まいでいずれはここか
ら出て行くことが決定的なので、手が込む大変な箇所は引っ越すまでそのままにしておこう、と思
ってしまう。
今日も友之が仕事から帰ってくるまでに部屋の押入れの中を片付けようと、押入れに入っている
物を出している作業中、奥から古いアルバムが見つかった。
「これを見ると片づけが終わらない……」と美佳は思った。
美佳が小さい時の写真を見るのは、結婚するはるか前であろう。結婚を機にいつか見るだろうと
思って他の荷物のついでに実家から持ってきたであるが、引越し時のドタバタで、どこにしまったの
かもすっかり忘れていた。
久しぶりに見る昔の自分の姿というのは、懐かしい過去の思い出でもあり、ほろ苦い思い出でも
あった。
早くアルバムの写真を見たいと思い、頑張ったおかげで、数時間で片づけを終わった。
人間、頑張れば物事は何でも早く終わるものである。
必要なものを再び押入れの中に仕舞い、中にあった大量のごみ(というか不要なもの)を団地入居
者用のゴミ捨て場に捨て、家に戻るとちょうど午後3時になった。
押入れの中だけは片付き、ようやく一段落したところで、美佳は古いアルバムを開いた。
「なつかしー!!」
美佳が小さい時と言えども昭和50年代であったので、写真はカラーである。
もちろん経年劣化が進み色褪せ始めてはいるが、とりあえず色が付いているので当時の思い出が
鮮明に蘇ってくる。美佳が小さい頃は愛媛県の地方小都市に住んでいた。小学5年の時に父の仕
事の関係で、神奈川県に引っ越してきた。
このアルバムは美佳がまだ愛媛県に住んでいた時に撮影したものであった。
少し古いが広い家。家の二階の窓から瀬戸内海が見える。家の裏には小高い山も見え、のどか
で風光明媚な所であった。
ただ田舎の小さい町だったため、買い物は車がないと不便で、駅も遠く、学校も家から歩いて30
分位の所にしかなかった。
その頃の私の写真は、いつもおかっぱ姿であった。
現在では幼い女の子でしかおかっぱ頭の子供は見かけなくなったが、昭和20〜40年代までは
ほとんど全ての女の子がおかっぱ頭であった。
当時は子供の散髪は家でするものであった。
生活が豊かではないという理由も有り、昔はどの家にもあった裁縫用の裁ちバサミを使って、お母
さんが子供の髪を手際よく切ったのである。
誰でも出来る簡単な散髪ということで、昔は家の庭などで手軽に行われたそうである。
また昔はどの家庭も同じような生活事情だったので、たいていの子供は
同じ髪型であった。女の子はおかっぱ、男の子は坊主かおかっぱ。これが普通の光景であった。
事実昭和30年代に撮影された写真を見ると、子供から中学生くらいまではほとんどと言っていい
ほどおかっぱや坊主頭なのである。
ただ、生活の向上などにより、昭和50年代辺りからはおかっぱは流行らなくなってきたのである。
子供が床屋や美容院に行ってカットするのが一般的になったのもその辺りからである。
しかし、美佳は小学校卒業までおかっぱ頭であった。
昭和50年代とも言えども家で刈る人がまだまだいたので、(家庭用の散髪器具も売られていた)
地域によってはおかっぱや坊主頭の子供もいたそうである。
美佳は、母がしてくれる散髪は嫌ではなかった。美佳の母は素人ながら散髪の腕はあったし、
近所の人の評判もいいからである。
実際美佳の母は、神奈川に引っ越す直前まで、兄弟や夫の髪も家で刈っていたのである。美佳は
小さい時のおかっぱ姿が今でも好きである。現在では古臭く見えるが、彼女自身気に入っている
髪形の一つである。
けどこのおかっぱ頭にも少しほろ苦い思い出がある。
それは、美佳の一家が愛媛から神奈川に引っ越したときのことである。
転校して最初の日、担任の先生がクラスの人に私を紹介してもらった。
その瞬間、クラスの誰かが口にした「転校生はおかっぱだ!」という声が教室に響いた。
昭和50年代後半になると、子供でもおしゃれに目覚めた人が出始めた頃であった。
特に都会ではその傾向が強く、だんだんと現代に近い感覚になってきたのである。その為「おか
っぱや坊主頭」にはやや古臭いイメージが出始めてきたのである。
この言動は担任の先生にとって全くの想定外であった。このままでは転校早々いじめに発展する
か、とも思い、すかさず、「この髪型は山崎さんのお母さんが切ってもらったものです。ですので髪型
でからかってはいけません!」
その一言で教室内が静まり返った。【言いだしっぺ】の男の子は下を向いて黙り込んでいる。
ちょっとした【騒動】の後、何事もなかったかのように一時間目の授業が始まった。
ちなみに美佳のおかっぱ頭をからかった子は一時間目の終わりに謝ってくれたので、美佳は許し
てあげた。
もちろん田舎から急に都会に引っ越してきたので都会の流行は分からなくて当然だし、生活環境
もまるで違う。そのことを汲み取っての担任の発言であろう。
これによって美佳はおかっぱを少しだけ誇りに思った。そんな事件以降美佳はクラスの人にいじ
められもせず、次第にクラスの人も美佳のおかっぱ姿にしっくりしたのか、卒業まで全く髪形の事は
言われなかった。
むしろ「きれいだね」「かわいいね」と言われる方が多い。本当にあの時は先生のお陰だと思って
いる。
美佳はあれ以来担任の先生を慕うようになり、卒業後も何年かは賀状のやり取りを続けていた。し
かし今では音沙汰もなくなったこのアルバムの最後のページには卒業記念で撮ったクラスの集合
写真が張ってある。もちろんこのときも美佳は少し前髪を伸ばしてはいるが、おかっぱ姿である。
写真の中央にはそのときの担任の先生、お世話になった先生が写っている。
小学校卒業の時で先生は結構お年も召しているので、今でもご健在かどうかは分からない。
(おかっぱ頭もいいものだな……。赤ちゃんが女の子だったらおかっぱ頭にしてあげようかな)
そう思いながら小さい頃の思い出にふける美佳であった。
大掃除もほとんど進んでいない12月の中旬、けど一冊のアルバムで美佳はしばし懐かしい気分を
味わえたのである。
「さて、そろそろ夕飯の支度に取り掛かるか……」
ふと台所の方を向くと、どうしても一年の間についてしまった汚れが眼に入ってしまう。
(近いうちに台所も掃除しないとな……)
綺麗な家で新年を迎えるにはまだまだ程遠い山崎家であった。