幻の宝くじ

 石黒亨さん、38歳。
 去年までは中小企業で働くサラリーマンであったが、3ヶ月前に彼の
学生時代からの友人を突然交通事故で亡くした。それがショックになり仕事にも身が入らな
くなり、先月会社から解雇された。
 それからというもの、ろくに仕事も探さず、毎日昼から街中をブラブラしたりパチンコに行った
りという様にすっかり堕落してしまった。そして家に帰るなり毎晩酒を飲んでその勢いで寝て
しまう。毎日がその繰り返しだ。妻は「友人の死」という大きなショックはそう簡単には立ち直
れないと判断したのか、暫くは旦那の行動には目をつぶっていた。
 しかし3ヶ月たっても一向に働く意欲を見せないとなると、だんだん穏やかにはいられなくな
ってきた。貯金も底が見始めたし、世間体にも悪い。夫の行動に我慢できなくなった妻は、思
い切って義母に相談した。
 石黒の母は[妙案]を思いつき、嫁にある一つの言動を石黒に対して講じるようにと勧めた
のであった。
 ある月曜日の夜、いつもは外では飲まない石黒が珍しく酒に酔って帰ってきた。
「先週、久しぶりに宝くじ『ナンバース4』を買ってみた。今日発表だということで調べてみたら
それが大当たり!予想した数字が全部当たって当選金が105万円だと!これで何ヶ月かは
遊んで暮らせるぞ!!」妻は冷静に夫の話を聞いた。
「当選金は受け取ったの?」と尋ねると、
「窓口に持っていったら係員が、銀行に行かないと賞金が受け取れない、と言われた。面倒
だから明日お前が代わりに行ってきてくれないか」
 ほろ酔いながら彼は妻に依頼した。どうやら彼にとってはめったに手にする事の出来ない大
金が自分の懐に入る言うのですっかり意気揚々となり『前祝』として足がふらふらになるまで
飲んできたらしい。
 妻はにっこり微笑むと「明日銀行に行ってくる」とだけ言って寝室に入った。

 翌日またどこかで飲んできた石黒が帰宅するなり、
「換えてきた当選金はどこにある?」と張り切った声で言うと妻は、
「あなたの宝くじ、外れていたよ。番号の見間違えじゃないの?」との答え。
 全く意外な発言に彼は、
「まさか、ちゃんとこの目で確かめた」と反論する。仕方なく妻は昨日預かった宝くじを見せた。
 新聞の当選番号発表欄を見て照らし合わせたが、確かに当選番号と1番違いであった。
「でしょ。このところ浮かれていて肝心な所を見落としていたのじゃない?」
 そういえばこの数日何でもないのに妙に喜んだり怒ったりしていたけど……心配になって
妻に聞いてみた。
「じゃあ、昨日俺が飲んで帰ったのは一体何だったんだ??」
 妻は「完全にあなたの思い違いね。『宝くじに当たった』という妄想だったのかも。飲んだ
酒はつけで払ったと思うけどその金は必ず稼いで払ってね」
との答え。やはりうまい話はなかったんだ。と考え、だんだん自分が買った宝くじは外れてい
たんだと思ってきた。その矢先に妻のきつい一言。
「まあ、いい夢を見たと思って。人生そう悪い事は続かないものだから。今日が駄目でもまた
明日からがんばればいいのだし……」
 何だか腑に落ちないな、と思いつつもそのまま寝てしまった。
 翌日。改めて新聞の宝くじ当選結果欄を見てもやはり一番違いで外れ。
「外れたのだから仕方がない……俺もどうにかしていたのだな……」と思うと、今までの行動
を反省せざるをえなかった。
 とりあえず飲んだ金は返さなくちゃな、と決意し、午後からハローワークへと出かけた。
 努力の甲斐あって運良く石黒は機械設備の管理会社で短期職員として採用された。その
会社で試用として働く事により今までの堕落した生活も改善され、亡くなった友の悲しみも癒
えたのか少しずつ真面目に仕事に取り組むようになった。
 3ヵ月後、石黒は会社から正式に社員として採用された。給料は前働いていた所よりは少な
かったが、それでも彼は満足した。もちろんあの時の飲み屋のつけも払い、少しは蓄えもでき、
妻にも悲しい思いをさせなくなった。
 その頃から飲酒は控えるようになってきた。晩酌も最初のうちは2杯目からは妻が徳利に
酒の代わりに水を入れて出し、「酒が勝手に水に変わったのだよ」とふざけた事を言っていた。
それも彼の体のことを気を使ってそうしたのだと分かると妙に納得した。それと同時に【不条
理】すらも感じるようになってきた。
 その不条理は【あのとき】から一年後別の形になって石黒の前に現れた。
 石黒がいつものように晩酌をしていると突然妻が、
「実はあなたに隠していた事があるの……」と言い出してきた。ほろ酔い気分でいたし、どうせ
あまり大した話ではないと思ったのか、
「何だ、言いたい事があったら遠慮なく言っていいぞ」と了承した。
 妻は隣の部屋のたんすの奥から封筒と写真を夫に渡した。封筒の中は百数万円入ってい
る。写真には宝くじの券と新聞の切り抜きが写っている。
 妻は小声で「去年の今頃あなたが『宝くじが当選した』と意気揚々と帰ってきたじゃない。あ
の時私が『宝くじは当たっていない』と主張していたじゃない。……実は本当は当たっていた
のよ。あれから私は銀行で当選金を受け取ったわ」
 あまりにもショッキングな事実に石黒は目を白黒させた。
「実はその少し前にあなたの母に、うちの旦那がずっと仕事もせず遊んでいるからどうにかし
て旦那を元に立ち直らせてほしい。と相談してきたの」
 石黒は妻の話を黙って聞いている。さらに妻は、
 「母は、『亨はギャンブルが好きだ。今度ギャンブルで大金を手にした時は、その金を隠して
おくように。口答えしたら「夢でも見たのだろう」と適当に嘘を付いておけばいい。そう言い通
せばきっと信じ込むだろう。あの子が容易く大金を手にしてしまえば、ずーっと気が締まらな
いで一生職なしですごすかもしれない。亨には悪いが、なかった事にしておけばきっと心を入
れ替えてくれる筈だよ』と言われたのでそれを実行したの。私だってあなたを騙すつもりはな
かった。けど、安易に大金を手にしたら誰だって一生働く気にならないと思うのは目に見えて
いる。だから心を鬼にして嘘を付いていたのよ……」
「じゃあ、あの宝くじは?」
 石黒が尋ねると、妻は、宝くじ売り場で、わずかの数字違いで外れているくじをもらって彼が
買った宝くじとすり替えておいたそうだ。妻は涙を流し始めた。
「もしあなたがその事で少しでも恨んだり腹が立ったのなら親の代わりに私はどんな罰でも
受けるつもりだ。殴っても蹴っても構わない」
 そう言い出すと石黒は、
「いや、お前のやったことは正しかった。確かにあの時は友の死を悲しんで堕落した生活を
送っていた。その時に当選金を受けとっていれば数ヶ月は遊んで居ただろう。そしてその金
を元手にまた賭け事に手を出していたに違いない。そう思えばあの時お前が騙してくれたお
かげで今までの行動から目覚めて、またまじめに働くようになった。お前の事をこれっぽちも
恨んでいない。本当にありがとう!」
 石黒は妻を許し、あの時に当たっていた当選金をやっと受け取った。
 金の使い道をどうするかと聞かれたら石黒は、
「2人で国内旅行に行って残りは貯金しておこうか」と控えめに答えると妻はいたずらっぽく、
「所詮はあなたが当てたお金、あなたの好きなギャンブルにでも自由に使えばいいのに」
との問いに対し石黒は、
「いや、ギャンブルはもうやらない。今度ギャンブルで大金が当たったら今度はお前が別の
女にすり替わってしまったら困るから!」
【完】 
※この小説は、古典落語「芝浜」を現代風にアレンジしたものです。

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