ブックモービル   「書き込み寺」 第20回企画参加作品  お題:図書館

 世の中には、移動販売と言う業種がある。
 古くは物売りであろう。今から200年以上前の江戸では、天秤棒を担いで食料品等を運び、町内の長屋を売りに歩いた行商人が沢山居たと言う。ある意味、家に居ながら生活必需品を買う事が出来た時代であった。買い物に出かける必要がないため、考え方を変えれば、今よりずっと便利な生活を送っていたのかもしれない。
 そう言った江戸時代の話はさて置いて、現代の日本でも、業者が食料品や雑貨をトラック等に積み込んで、過疎化の進んだ地域や山間部等に定期的に巡回販売する、いわば【移動スーパーマーケット】が各地で活躍し、過疎地域に住む高齢者にとって数少ない食料品購入方法として重宝されている。また、都会でも時折見かける事の出来る、石焼芋売りや竿竹売りや弁当売りも移動販売の一種だ。
 最近では移動床屋や移動郵便局なるものまで登場し、人口の少ない地域でも都市部と変わらないサービスを享受する事が可能になってきた。
 そういったサービスで、比較的昔からあるものとして、ブックモービルがある。
 あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、【移動図書館】と言い直せば、ピンと来る人も多いかも知れない。自動車を利用して、図書館を利用しにくい地域の人のために各地を巡回する図書館サービスを提供する仕組みであり、現在では多くの図書館で移動図書館も所有している。
 歴史を紐解くと、昭和23年に、鹿児島と高知の図書館によってサービスが始まったとされている。しかし本格的に移動図書館が運用されたのは、昭和30年代後半からと言われている。
 当時は公共交通機関がそれほど発達していなかったので、住んでいる地域によっては都会的な生活を送るのに支障をきたす所もあったと言う。もちろん文化面においても然りで、当時はコミュニティセンターはおろか、公民館での活動も満足に行っていない地域もあった。更に挙げると本屋も小さな町には無く、せいぜい万屋(よろずや)で雑誌が申し訳程度に販売している位であった。こういった地域に住む人は、新刊書一冊購入するには、時間をかけて街中の書店まで出かけて買うか、出版社か書店に連絡して直接自宅に郵送してもらうしか方法がなかった。彼らにとって、移動図書館は大切な文化情報発信地であったと言っても過言ではない。

 昭和45年。岐阜県奥美濃地域のとある小さな町。岐阜県は北部を飛騨山地、愛知県に近い南部は平地であり、その間にある奥美濃地域は、大都市名古屋から比較的近くにありながら、昔からのどかで自然豊かな地域であった。
 そんな小さな町にも、移動図書館は走っていた。何しろ昭和40年代なので、図書館自体の数も今よりも多くなく、移動図書館も今と違って大きな町の図書館にしか無かった。だから、この町の移動図書館は県庁所在地である岐阜市から毎月一度やってくるのだ。
 移動図書館自体は、今と昔もさほど大きく変わってなく、マイクロバスを改造した車体で、運転席と助手席以外の座席を取り払い、代わりに本棚を車内の所狭しに並べて、多種多彩の図書を積み込んでいた。もちろん建物の図書館の蔵書数には遥かに及ばないものの、一台の移動図書館で数千冊程度の蔵書を扱っていた。
 この地域で移動図書館を担当するのは、図書館司書の本村詩織さん、20代前半の若い司書だ。大学卒業後、図書館内で働いていたが、移動図書館担当の増員によって新たに配属された。
 配属当初は、仕事をしながら県内のあちこちに行ける、と半分喜んでいた。しかし実際に仕事をすると、想像と現実は大きくかけ離れるものだと少しずつ判って来た。
 前述した通り、昭和40年代では、まだまだ舗装されている道路は少なく、特に地方の山村では、田んぼ道や山道になると車の行き違いが出来ないくらい狭い道もあり、それだけでも大変であった。飛騨地方の山中となると、朝早く岐阜を出発しても、最初の立ち寄り箇所に到着したのが昼ごろと言う時もあった。本村さんは運転はしないものの、狭い道では車から降りて誘導をする事もあったので、最初のうちは苦労をした。
 それだけではない。今のように雨水が排水溝に吸い込まれるような設備がなかったため、雨が降ると容赦なく道路に水溜りが出来る。その中を走るので車がすぐに泥まみれになる。更に利用者も、泥のついた靴でお構いなしに車内に上がってくるので、車内も泥で汚れる事が多々あった。そうでなくても、場所柄か農繁期の時期になると、さっきまで農作業をしていたと思われる農家のおばさんが、泥のついた長靴を履いたまま利用する時もあった。幸い図書が泥や雨の洗礼を受けてしまった事が少なかったが、貸した本が紛失してしまった事も何回かあった。
 けれど、大変な事ばかりではない。移動図書館が来るのを心待ちにしている地域の方々の笑顔を見るだけでも、日々の苦労が吹き飛ぶ。移動図書館が来る広場や公園が、地域の交流の場になっているのだ。地域に住む老若男女がここに集まってきて、いつしか井戸端ならぬ移動図書館端会議が始まったり、時には住民が借りた本によって即席読書会や紙芝居会が始まったり、はたまた天気のいい日には昼食会が行われたりもする。人と人との結びつきが希薄な平成時代では考えられない、日本の現風景に近いものがここにはあった。本を読む事によって広く深い知識を得る事が出来るほか、世代を超えた住民の交流も出来るのだから。
 とある日曜日。今日は数ある巡回地の中で彼女の一番好きな、県内中部の小さな町に行く日だ。
一日の仕事は移動図書館に積み込む図書の整理から始まる。一応本棚にはジャンルごとに分類はされているものの、利用者が当たり構わず本棚に突っ込んでいる事もあるので、それらの確認と、前日貸し出した図書の把握と、新たに補充する本が必要かどうかの見極め等だ。それらが終わると、その日の巡回地へと運転手と共に向かう。
 巡回地の町内に入ると、「移動図書館が来ました」と言うアナウンスを流しながら運転し、住民に移動図書館がやってきた事を知らせる。そうすると巡回場所である広場には、既に何人もの人が移動図書館が来るのを待っているのだ。
 本村さんと運転手は車から降りると、早速テーブルと日よけを用意し、即席の受付を設営する。そして運転手が車のドアを開けると、いよいよ移動図書館の利用が開始される。大人は奥の本棚へ、子供達は児童書が多い前側の本棚に群がる。借りたい本が見つかった利用者は、受付で簡単な貸し出し手続きを行う。
 本の後ろに小さなポケットを付け、そこに入っている図書カードを取り出して、貸し出し者のカードと一緒にゴムでまとめ、貸し出し用のケースに仕舞う。昔からある簡易的な貸し出しシステムで、コンピューター導入前では全国の図書館で広く行われていた。今でも学校図書館で採用しているところがあるかもしれない。
「はいはい、割り込まないで順序良く並んでね」
 本村さんは、我先にと自分勝手に割り込む子供達を諭すのも慣れたものだ。てきぱきとした手つきで貸し出して続きをこなす。もちろん先月貸した本の返却に来る人もいるので、そちらの対応も欠かせない。
そして移動図書館利用者が次々に貸し出し、家路に向う人が増えると、運転手と本村さんはここでやっとひと息がつける。
「日曜だけあって、子供が多かったね」
「そうだな。本好きな子が多いのはいい事だ」
 そんな会話が本村さんの潤滑油になったり、リラックスを支えるものになったりする。
 また、読みたい本が見つかり、その本を抱えながら家に帰る子供の姿を見るのも本村さんの一番嬉しくなる瞬間だ。
 この町の広場で貸し出しをはじめて1時間。新たに移動図書館を利用する人がいないと判断し、2人は設営を片付けた。そして次の巡回地へと車を走らせた。
 さっきまで移動図書館があった広場は、再び静寂に戻った。その広場の隅に、移動図書館で本を借りた小学生の女の子が一人座り、早速読書をはじめていた。彼女は読書が好きで、毎月一回の移動図書館を楽しみにしている一人だ。毎回利用最大限の冊数を借りている。小学校の図書館ではもの足りず、学校には置いていない大人向けの文庫本を良く借りている。移動図書館と言うシステムも関心があり、いつも手際よく設営し、貸し出し業務を行い、時間が来たらきたら片付けて足早に次の場所へ去ってしまうのも一つのイベントとして捉えている。
 今日も移動図書館がやってきて去るまでずっと広場の隅にいて、借りた本を読みながらその様子を眺めていた。そして移動図書館が他の場所に向って出発すると、
「また来月会おうね」
と言う気持ちで、移動図書館を見送っていた。
 そんな女の子がいる事を本村さんが知っているかどうかはわからない。けど行く先々で移動図書館が来るのを心待ちにしている人がたくさんいるのは事実だ。
(一人でも多くの人が本を読む楽しみを味わえたらいいな)と思いながら、今日も岐阜県の小さな町を巡回している本村さんであった。

【完】
参考サイト:奈良県立奈良図書館報「うんてい」
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       Wikipedia
参考資料:雑学・大江戸庶民事情(石川英輔・著)