非日常の楽しみ
私たちが生活している空間は、いわば【日常】である。家の中然り、会社然り、学校も然り、住んでいる町もおそらく【日常】の範囲内であろう。
しかしそれだけでは単調であり、面白みが無いので、時として【非日常】へ憧れるのは当然である。
【非日常】と言っても架空の世界はおろか、TVや映画内の世界でもない。
広義的には私の住んでいる地域外のことを指すのであろう。旅行先や温泉地、海外のリゾート地、はたまた遊園地やテーマパークなどがそれに値する。
しかし私たちが生活している空間のすぐ近くにも非日常は存在している。
子供であれば、「友人の家」はまさに非日常の世界であろう。
今では少なくなったが、以前は幼稚園や小学生の頃に、友人や親戚宅にお泊りに行った事が多かったらしい。
自分がいつも住んでいる空間とは少し違う家、部屋、そして夕食風景。誰もが子供心ながらも我が家と比較し、優劣を感じていたであろう。
そして自分の家とは違うしきたりや生活習慣に戸惑ったり、普段は食べられない物、見られない物を体験する事も出来るであろう。
現在では昔のように緊密な付き合いが出来なくなりお泊りをする機会が少なくなったのはさびしい感じがする。
大人でも非日常の空間はある。それは飲み屋であろう。
家で飲む酒よりも外で飲む酒のほうがおいしいと言う人がいるには、おそらく飲み屋の雰囲気が日常と違うからであろう。
特にスナックやバーなどでは高級感とともにママさんやホステスさんに接すると言うちょっとした大人の遊びすらも味わえる。
もちろんそうでなくても居酒屋や食堂でも酒が入ると違った印象を持つことがある。酒の魔力と言えばそれまでだが、日常と違う雰囲気が感じられる。
もっと身近な例で言えば銭湯もいわば非日常空間であろう。
日常生活は服を着ているのが常であるので、裸は非日常に値すると思う。エロチックという観点で考えてみても、脱ぐと言う行為は「日常から非日常への転換」とも考えることも出来る。
普段見られない姿を露にするという事自体大いに〔普段とは違う〕と言えるであろう。場合によっては「美」すらも感じられる。
もちろんそうでなくても、服装によって身分や階級に縛り付けられている日常から、服装を取り除く=裸になる事によって平等と言う一種の理想郷が出来る、と言っても過言ではない。
そう考えると昔から銭湯が庶民の社交場になっていたのもうかがえる。
同じように古来からの庶民の楽しみである祭りも非日常の世界である。
昨日まではごく普通の町並みに、突如山車や御輿が繰り出し(勿論準備はしているのだが)、露店も出て町中が賑やかになる。祭りに参加している人は皆法被姿。正に日常とは違う。
少し脇道にそれるが、日本の祭りが豪華絢爛なのは昔からの伝統と文化が現在でも受け継がれているからであろう。
日本を訪れた外国人が日本の伝統的な祭りを見物して、「日本には17世紀と21世紀が同居している」と言うような感想をしたと本に書いてあったが、それこそが非日常の世界だ。
伝統的な祭りでないにしろ車を通行止めにして多彩なイベントを行うことも同じだ。
年に数回しかない特別な日=ハレ、いわば非日常の行事を待ちわびて、毎日を過ごしている日本人の心が昔から続いているのは言うまでもない。
ハレの対義語はケ=日常である。つまり昔から日本人は非日常の行事を大切にしているのである。だからこそ祭りは各地で盛大に行われているし年中行事も多くが今でも受け継がれている。
昔の人がハレを大切にしているように、私たちもたまには普段の生活から少し外れて非日常の空間に行くのも良いことかのかもしれない。
私たちが生活している空間は、いわば【日常】である。家の中然り、会社然り、学校も然り、住んでいる町もおそらく【日常】の範囲内であろう。
しかしそれだけでは単調であり、面白みが無いので、時として【非日常】へ憧れるのは当然である。
【非日常】と言っても架空の世界はおろか、TVや映画内の世界でもない。
広義的には私の住んでいる地域外のことを指すのであろう。旅行先や温泉地、海外のリゾート地、はたまた遊園地やテーマパークなどがそれに値する。
しかし私たちが生活している空間のすぐ近くにも非日常は存在している。
子供であれば、「友人の家」はまさに非日常の世界であろう。
今では少なくなったが、以前は幼稚園や小学生の頃に、友人や親戚宅にお泊りに行った事が多かったらしい。
自分がいつも住んでいる空間とは少し違う家、部屋、そして夕食風景。誰もが子供心ながらも我が家と比較し、優劣を感じていたであろう。
そして自分の家とは違うしきたりや生活習慣に戸惑ったり、普段は食べられない物、見られない物を体験する事も出来るであろう。
現在では昔のように緊密な付き合いが出来なくなりお泊りをする機会が少なくなったのはさびしい感じがする。
大人でも非日常の空間はある。それは飲み屋であろう。
家で飲む酒よりも外で飲む酒のほうがおいしいと言う人がいるには、おそらく飲み屋の雰囲気が日常と違うからであろう。
特にスナックやバーなどでは高級感とともにママさんやホステスさんに接すると言うちょっとした大人の遊びすらも味わえる。
もちろんそうでなくても居酒屋や食堂でも酒が入ると違った印象を持つことがある。酒の魔力と言えばそれまでだが、日常と違う雰囲気が感じられる。
もっと身近な例で言えば銭湯もいわば非日常空間であろう。
日常生活は服を着ているのが常であるので、裸は非日常に値すると思う。エロチックという観点で考えてみても、脱ぐと言う行為は「日常から非日常への転換」とも考えることも出来る。
普段見られない姿を露にするという事自体大いに〔普段とは違う〕と言えるであろう。場合によっては「美」すらも感じられる。
もちろんそうでなくても、服装によって身分や階級に縛り付けられている日常から、服装を取り除く=裸になる事によって平等と言う一種の理想郷が出来る、と言っても過言ではない。
そう考えると昔から銭湯が庶民の社交場になっていたのもうかがえる。
同じように古来からの庶民の楽しみである祭りも非日常の世界である。
昨日まではごく普通の町並みに、突如山車や御輿が繰り出し(勿論準備はしているのだが)、露店も出て町中が賑やかになる。祭りに参加している人は皆法被姿。正に日常とは違う。
少し脇道にそれるが、日本の祭りが豪華絢爛なのは昔からの伝統と文化が現在でも受け継がれているからであろう。
日本を訪れた外国人が日本の伝統的な祭りを見物して、「日本には17世紀と21世紀が同居している」と言うような感想をしたと本に書いてあったが、それこそが非日常の世界だ。
伝統的な祭りでないにしろ車を通行止めにして多彩なイベントを行うことも同じだ。
年に数回しかない特別な日=ハレ、いわば非日常の行事を待ちわびて、毎日を過ごしている日本人の心が昔から続いているのは言うまでもない。
ハレの対義語はケ=日常である。つまり昔から日本人は非日常の行事を大切にしているのである。だからこそ祭りは各地で盛大に行われているし年中行事も多くが今でも受け継がれている。
昔の人がハレを大切にしているように、私たちもたまには普段の生活から少し外れて非日常の空間に行くのも良いことかのかもしれない。