6、ゲタ 「切れた鼻緒」
 最近は都会化や道路の舗装でゲタやぞうりなどの日本古来の履物を履く機会がめっきり減
ってしまった。若者にとっては特に縁遠い履物になってしまった。時代の流れとはいえ、なんと
なく寂しいものである。けど昭和30〜40年代くらいまではゲタは日常生活で広く使っていた。
 昭和36年の神奈川県のある地方都市。生活の近代化によって駅前の通りやメイン通りの
道路は舗装されているが、郊外や住宅地はまだまだ舗装されていなかった。
 また市民にとって靴はまだまだぜいたく品だった感があるのでゲタや草履は日常履きとし
て活躍していた。
 今では想像もつかないことだが、このころは住宅地あたりは道路がアスファルト舗装され
ていないのである。
 舗装されていない道ではゲタの歯はあまり消耗しにくかったので、ゲタはどこでも結構永く
使われていたのであった。
 特にこの町に住む安藤さんの家では、祖父が倹約を美徳と考えていたのでゲタは30年以
上もはき続けているのであった。
 安藤家ではゲタに限らず生活用品のほとんどを修繕で使用し続けていたのであった。
 当時は高度成長期にはまだ入ってなく、現在のように企業も大量生産をしていなかったの
で商品単価もそれほど安くなっていなかった。そのため一般の人々は今のように商品を使い
捨てにしなかったのである。というか新しい商品の買い替えもしたくてもできないと言った方
が適当だったかもしれない。
 そのような時代だったので、金物の穴補修や家具の修理も子供服の着まわし(お下がり)も
ごくごく普通に行なっていた。
 もっとも昭和30年代後半に入ると高度成長に入り大量生産大量消費の時代に入った為、
道具の補修や専門家に修繕を頼む人は減ってきた。
 けれど安藤家では「形ある限り道具は最後まで使うのが大切だ」という祖父の考えの下、
家財道具を長年使い続けてきている。言い換えれば今では死語になってしまった【物持ち
がいい】家なのである。
 そんなある日、安藤さんの息子が泣きべそをかきながら帰宅した。息子が言うには
「通りの角にあった石につまずいて転んじゃって、ゲタの鼻緒が切れてしまった」との事。
 母親は玄関に駆けつけると、泣いている息子に、
「大丈夫?怪我はない?」と心配そうに話しかけてあげた。
 両膝をすりむいた程度だったので母親はひとまず安心した。そして擦り傷をした箇所に赤
チンをつけてあげた。 玄関には鼻緒が切れてしまったゲタが転がっている。それを見て、
「もうこのゲタもそろそろ寿命だね……長年家族が代わる代わる履いてきたゲタなので愛
着があるけど、もうおしまいかな……」と言いながら鼻緒の切れたゲタを持ちあげたとき、奥
から大きな声がしてきた。
「これはまだまだ使えますよ!もったいないことをしないでください!」と、案の定祖父の大
きな声だった。
祖父が母が持っていたゲタを渡すと、
「鼻緒の取れた下駄は挿げ(すげ)替えればまだまだ使えますよ」
と言って慣れた手つきで鼻緒を抜き、着物のすそを口でちぎりひも状にしてゲタの穴にさし
こんだ。10分もしないうちに祖父はゲタの鼻緒を挿げ替えてしまった。
「小さい頃良くお袋にすげるのを教わったからな。このくらいは簡単じゃ」と祖父は余裕あり
げに話した。
(男の子だから遊んでいるうちに鼻緒が取れるのだな。それならあまり履かなくなった父の
ゲタを息子にあげてこれは今度は私が履くことにしよう)と母は思った。
 翌日父のお下がりのゲタを頂いた息子は喜んだ。母は、
「これで思いっきり遊んでも大丈夫だよ」と息子に言った。
 そして母は祖父が鼻緒を挿げてくれたゲタで、今日も近所の商店街まで買い物に行くの
であった……。

……あれから何年たったのだろうか。あのときに履いていたゲタは知らない間に下駄箱の
奥にしまわれてしまったのだった。
 時は平成15年。安藤家の下駄箱を新しい形に買い換えるため、今まで使っていた下駄箱
を玄関から庭に運び出し、虫干しを兼ねて中に入っている履物をすべて出したのである。そ
したらあのときのゲタが下駄箱の奥からそのままの形で仕舞ってあったのだった。昔から物
持ちが良かった家系なので捨てずにきちんと取っておいたのであった。もっともその中で一
番貢献をした祖父は、すでに昭和42年にこの世を去っていたのである。日本が大量生産・大
量消費の世の中になった直後のことであった。
 高度成長で日本は飛躍的な進歩を遂げたが、物を大切にする心や使えなくなっても修繕を
して長く使うといった知恵をどこかに置き忘れてしまったのかもしれない……
 日本の今後を憂いながらも、年老いた母は、あの時使ったゲタを眺めているうちに旧来の友
人に会ったかのような懐かしい思いにふけたのであった。
【完】